カートコバーンの話
ロックバンド「ニルヴァーナ」のボーカル、カートコバーンは27歳で自殺した。
私が昔やっていたバンドの仲間には、ニルヴァーナを神格化する人がたくさんいた。
カートコバーンはアーティスト(表現者)としての活動と、ロックスター(商業音楽作曲家)としてのハザマに苦しみ、自殺したといわれている。
要するに、大衆の望んでいる「ニルヴァーナ」と自分が作りたい「ニルヴァーナ」の乖離に苦しんだということだ。
あるいは、シンプルに世界全国の大衆からのプレッシャーに負けた、「普通の一人の27歳」だったということか。
とはいえ、私はカートコバーンが死んでから生まれた人間なので、本人の活躍や訃報を直接見聞きしたわけではない。私たちの世代(20代前半)は、カートコバーンの本質を知ることは一生できないのだ。
ではなぜ、カートコバーンの死後も、彼を神格化する若者が絶えないのか。
ニルヴァーナの音楽は、実際の曲を聞いてもらうのが一番早い。
これは代表曲と言っていいだろう。
彼のことが本当に大好きなファンの中には、これが収録されている2ndアルバム「ネヴァーマインド」自体を批判する人もいる。
なぜならこのアルバムは、彼がいわゆる「商業音楽」を作るきっかけになったアルバムだからである。
大ヒットしたこの2ndアルバムはニルヴァーナの代名詞的扱いになってしまった。
彼のことが本当に大好きなファンの中には、1stアルバムの「ブリーチ」こそが「カートコバーン」なんだ、という人もいるということだ。
そして1993年、自身の最後の作品である3rdアルバム「イン・ユーテロ」を作成した。
2ndアルバム「ネヴァーマインド」で大衆音楽にうんざりした結果、1stアルバムである「ブリーチ」ばりのアンダーグラウンドでパンキッシュな曲を作ったしたところ、収録されている「レイプ・ミー」(私の大好きな曲だ)という曲でフェミニスト団体から抗議を受けたそうだ。
しかし、全米一位を取った。
そして、カートコバーンは自殺した。
なぜ自殺したのかは正式には明らかになっていないが、この一連の流れから想像はできよう。
最初(1st)はアンダーグラウンドなアーティストとして成功し、
次(2nd)は売れることを期待され、それに合わせたものを作らされ、
最後(3rd)は原点回帰したところ有名になってしまったがゆえに、デビュー当時は俺らのことなんか見向きもしてなかったコミュニティから勝手に反発され、同時に「アンダーグラウンド」な俺らが大衆に受け入れられて「流行りの音楽」になってしまったのだ。
そしてまた、彼の自殺の理由を心から理解することはできないだろう。
同じ境遇になったことのある人間が、このブログを読んでいるとは思えない。
しかし、「1stアルバムが一番良かった」というのは、しばしば音楽家に向けて使われる慣用句のようなものだ。
この慣用句の意味がもっともわかりやすい具体例は、「神聖かまってちゃん」という日本のバンドだ。
私は中学三年生の時、このバンドの存在に救われたことがあり、いまでも大好きなバンドでもある。しかし、「かまってちゃんは1stアルバムが一番良かった」という声はしばしば聞く。
それを聞くたび私は「な~~~~~~んにもわかってねえな」と思う。
神聖かまってちゃんのフロントマンである「の子」は、境界性人格障害を患っている。超簡単に言うと、「頻繁に死にたくなる気持ちになるけど、年齢が上がるにつれて症状が軽減されていく」心理障害である。(理解を重視しているので識者の方、患者の方には大変失礼な説明である。お詫び申し上げる。)
すなわち1stアルバムは最も尖っており、最新のものは当時の尖りは薄くなり、ポップになっていく傾向がみられる。
それこそが、彼の生きた記録としての「アルバム」なのだ。
だから私は彼らがどんなCDをリリースしても買うし、愛している。「の子、元気になってきたな」とか、「そうそう、普通の恋愛ってこんなんだよな」とか思う。
カートコバーンも、同じなのだ。ミュージシャンが生きた証が、「アルバム」なのだ。
そしてそれが人の心に響き、揺さぶり、その人の今後の生き方、人生に影響を与えたとき、その人はその作品を「芸術」と呼ぶ。
冒頭に述べた、「カートコバーンが神格化される理由」は楽曲そのものではなく、彼が「人生そのもの」を若者に響く「芸術」として終えたからだと、私は思うわけだ。
私はゲームクリエイターだ。すこしゲームの話をしたい。
私は子供の時、母親から「ゲームばかりやっていないで、本を読みなさい」としきりに言われた。だから、「ゲームをやった時間だけ本を読みます」と母親に約束し、ゲームと同じ量、しぶしぶ本を読んだ。
しかし、母親が買い与えてくれたのは何かの賞を取った「流行りの本」であり、小学生でも読めるレベルの本でもあったので、至極退屈だった。
結局、難しい言葉や英語は当時ほとんどゲームから学んだ。
そこで、「ゲームはだめで、なんで小説はいいんだろう。どちらも娯楽なのに」
と少年は感じた。
時は経ち、私は文学部に入った。
大学で4年間も小説というメディア(ここでは「媒体」という意味で用いる。)を学ぶと、なるほどこれは多くの人にとって「娯楽ではなく芸術である」と腹に落ちた。読書に夢中になる人の理由もわかるし、小説を読むことが勉強になる理由もわかる。
そして、授業を聞かない大学生がこぞってソーシャルゲームのガチャにお金を使っているのを見て、「なるほどこれは、まだまだ娯楽である」とまた、感じたのである。
私は、ゲームを芸術にしたいと考えた。
物語を伝える表現媒体として、アニメは文化として成立している。
こと「魔法少女まどか☆マギカ」は芸術だろう。(私はこの作品はあまり好きではないが、あの世界観、音楽、ストーリーを「娯楽」の一言で片づけるのはあまりに惜しい。あの作品を「おもしろかった」で片づけず、なにか心打たれた人も多いことだろう。)
ゲームは文化とされていても、芸術とは言われない。物語の伝達方法として小説やアニメのように優れているにも関わらず、だ。
特に「FFX」なんかは、上記の「世界観、音楽、ストーリー」に加えて、人種差別・宗教対立などの「社会風刺」や「愛」というテーマすらついている。私はあの作品を通じて、確かに心を打たれ、人生観が変わった。
www.youtube.com(「ザナルカンドにて」という主題歌。私は雑魚なので、聞くだけで涙が出る。)
私にしたら、「FFX」は芸術だ。
しかし、世の中にはそれを笑う人がいる。
「ゲームに影響受けんのかよ、どんだけほかの作品に触れてないんだ」と。
それは違う。
ゲームも、映画や演劇や小説やアニメや漫画や絵画や音楽と同じ、「メディア(表現媒体)」なのだ。その世の中のヒエラルキーが、残念ながらまだまだ低いだけだ。
ゲームを芸術として昇華するには、まだまだそれに足る作品の数が足りないのだ。
にも拘わらず、今の日本のゲーム業界は「ガチャ」というエデンの果実の味を知ってしまった所為で、「儲かる」ゲームの開発に多くのIT企業が参入してしまった。
ゲームはもう芸術としてではなく、「二匹目のどじょうを掬うビジネス」と化したといっていい。私のような考えは「非効率でコスパが悪い」と一蹴される時代がきたのだ。
めちゃくちゃに金をかけて、最高の「商品」を6000円で売るのと、コストを抑えて、手軽に遊べるものでユーザーから毎月5000円取れるものを売るのと、どちらが「企業」にとっていいのかは火を見るより明らかである。
今のゲーム業界は、ニルヴァーナの2ndアルバム「ネヴァーマインド」と同じなのだ。
太宰治は「小説を書くのがいやになつたから死ぬのです」と言って自殺した。川端康成は誰にもその理由を打ち明けることなく自殺した。三島由紀夫は見えないものが見えるようになり、「見えていない」若者に対し文字通り「檄」を飛ばし、割腹した。
カートコバーンもまた、見えないものが見えるようになり、ショットガンを口に当てたのだと思う。
日本の話と世界の話を混同して申し訳ない。だが、ゲームを芸術として昇華させるには、いささか暴論だが「27歳で死んで惜しまれる。それに足る人間」が直近で必要なのだ。
私は、他の芸術と呼ばれるメディアを研究し、ゲームで名作を作り、ゲームを芸術とすることで「ガチャしか知らない」子供たちに未来を託したい。
願わくば、市ヶ谷駐屯上からほど近く、オタクの聖地である秋葉原で「檄」を飛ばす演説をし、若者を目覚めさせ、割腹自殺をしたい。
そのために、今日もゲームを作るのだ。
・・・もしかしたら、死ぬのは痛そうだし、痛いのは怖いので自殺はしないかもしれない。
そうしたら、死ぬまでゲームを作ろうと思う。
読んでいただきありがとう。